園の歴史

沿革

聖徳幼稚園 100年の歩み

1919年(大正8年)

渡邊了惠(福源寺15代住職)が「聖徳山 福源寺」境内に創設、「旧制・私立幼稚園」としての認可を受ける。4月、福源寺本堂を園舎として開園式ならびに最初の入園式を挙行。

1925年(大正14年)

木造平屋建ての新園舎が新設される。

1944年(昭和19年)

第二次世界大戦中の軍命により園舎が軍事工場として接収される。これにより一時、休園となる。

1956年(昭和31年)

渡邊了昭(福源寺16代住職)により木造平屋建ての新園舎が新設される。戦後の「新制・学校法人」として認可を受け、渡邊了昭が理事長・園長に就任する。「新制」による「学校法人・聖徳幼稚園」(定員100名)が始まる。

1963年(昭和38年)

園舎増築、定員200名となる。

1968年(昭和43年)

北園舎増築(鉄筋コンクリート造)。定員310名となる。

1972年(昭和47年)

北園舎 二階建て増築(鉄筋コンクリート造)。定員350名となる。

1976年(昭和51年)

収容定員変更認可、定員460名となる。木造園舎部分を鉄筋コンクリート造 二階建てに増改築。

1987年(昭和62年)

二階建て おゆうぎ室(鉄骨造)を増設。

2008年(平成20年)

渡邊隆生(福源寺17代住職)が理事長・園長に就任。

2019年(平成31年)

渡邊了生(福源寺副住職)が理事長・園長に就任。

2021年(令和3年)

令和の回廊式新園舎(木造平屋建て)と芝生一面の新しい運動場が完成。「学校法人・聖徳幼稚園」は[幼稚園型 認定こども園](利用定員180名)として認定を受ける。

「富士吉田市立・下吉田第一小学校」(旧・吉田学校)との歴史的つながり

明治6年(1873)、「聖徳幼稚園」の前進ともなる「吉田学校」が「福源寺」境内に創設されます。「吉田学校」は、創設後移転し、現在の「富士吉田市立・下吉田第一小学校」として今に至ります。「吉田学校」に続き、「福源寺」に創設された教育施設が「聖徳幼稚園」となります。

明治6年10月16日に福源寺に創設された「吉田学校」は、同年11月16日に正福寺に創立された新倉学校を吸収し、下吉田新倉境の地に今の「下吉田第一小学校」の基礎を形づくります。その後「吉田学校」は、昭和26年(1951)3月20日、 町村合併・市制施行により「富士吉田市立・下吉田第一小学校」と改称される事となりました。

下吉田第一小学校は、令和2年度から特認校制度を導入し、市内のどこからでも入学することが可能な特認校となりました。大規模校では不可能な、きめ細かな教育指導の実現に、小規模な特認校ならではの特長があります。

⇒下吉田第一小学校 https://web.fujinet.ed.jp/info/54

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